TOKYO TRIBEの誕生 その1

1:11

昔話でもしましょうか?

TOKYO TRIBEの誕生に
ついて振り返ってみようかなあ〜

ハタチのときに描いた短編が紆余曲折あって
21の時に漫画賞を穫ったときは
バイト先のレンタルビデオ屋の休憩室で飛び上がった。

ただ電話先の小学館の編集者は
F社の編集がたまさかぼくの原稿をデザイナーのとこで見て
「どこかの雑誌で見たことある」と言っているそうな、、、

「三太くん、これどこかに既出じゃないよね?」

「まさか、、!」

ぼくは狐につままれたような気になった。


オチを話すとそのF社の編集は1年前
ぼくが持ち込んだ時にぼくの原稿を見ていて
勘違いしていたのだ。

人騒がせな編集者だ。

あやうく念願のぼくのデビューが取り消されそうになっていた!


ちなみにこの編集とは後年
お仕事をさしてもらった事があったが
テキトーな口約束を言って
エライ目にあった事があるが、、
まあ、、大昔の話です。

安土桃山時代くらい昔の。。

さて、、

こんなペースでデビュー秘話を書いていると
何ページあっても足りない。。

もっとご興味をもたれて
詳細を知りたくなった編集者がいらっしゃいましたら
書籍化をご企画くださいw


閑話休題
(ってドゆ意味?w)


いとこであり
ライバルの大洋にデビューを先越されること数年
ついにぼくも21歳で華々しく
漫画界に船出したワケでーーー

今回は
TOKYO TRIBEに焦点をしぼりたいので
小学館/ヤングサンデー時代の
なかなかに苦渋をなめた時期は120倍速で飛ばしましょうw

初連載『ぶんぷくちゃがま大魔王』を9回か10回で
打ち切られたぼくは、
もちろん落ち込んでいた。

だが少しづつ雑誌宝島の編集者にかわいがって
もらいながら、『サブカル界』にも居場所を見つけ始めていた。。

その日の夜も
六本木のとあるクラブで漫画家nightと称した
漫画家オンリーのDJ大会の末席をぼくが汚していた。

メンバーは、岡崎京子さん(若い頃めっちゃお世話になったのに、なんの恩返しも出来ていない。。)、桜沢エリカさん、
根本敬さん、朝倉世界一さん、といったメンバー。

かのstudio voice誌でも告知が打たれていて

当日はレーベルメイトでもあった山本英夫くん(殺し屋1、ホムンクルス)も遊びにきていた

つまり
無職でも
なんだか華やか雰囲気

頭は冷凍庫に入っていても
脚はぬるま湯につかっているような、、、

そんな妙なキブン。

(これが後述するが
その後のぼくの人生につきまとう
キブンなので、あり、
今まさにそのキブンなのでR)

そんな日の夜に
六本木の公衆電話から
小学館のヤングサンデー編集部に電話をかけて(携帯電話登場前夜)
、ぼくは担当のムトー記者から
連載第二弾『魂列車』のゴーサインをもらって
小躍りしていたのを思い出す。。。

それも7話くらいで打ち切りになるとも知らずに、、、(笑)

『魂列車』の最終回を描いたときは悲惨だった。

痔が悪化して椅子に座れなくなくなったので、ベッドで執筆していたら
墨汁をベッドをこぼしてしまい、一面ベッドをベタ(漫画用語で黒く塗る事)の海にしてしまった(笑)

ただ友人の漫画家
安野モヨコちゃんと冬野さほちゃん(のちの松本大洋夫人)が手伝いに来てくれたのは
地獄に仏であったが

2つの連載、二打席
、、ヒットが出なかったぼくは小学館をほされた。。

そして宝島等々の雑誌でイラスト、カットの仕事をもらいながら
食いつないでいった。。
あまりにもお金に困ると
江東区東陽町の母のところへ
お金の無心に行った。。


ある日
麹町の宝島社を訪ねたら
マスブチ記者から
描き下し単行本を出してみないか?と打診をうけた

断る理由はなかった。

中央林間までの帰りの電車内で
ぼくはその本を

『TOKYO TRIBE』と名付けた。

なんの躊躇もなく。

1992年

6月

今から

22年前




以下続く

その2へ

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